
忙しい6月を過ごしています。
とは言うものの
自分のやりたいことを
自分のペースで
好きなだけ
できるので
どんなに気を揉んでも
手が疲れ切っても
ため息ついたって
眠りにつくころは
なんとなく
笑って終わる
そんな日々

雨が続くと気温が上がらず
畳んでしまった長袖を
引っ張り出してきて
一休み
雨に煙る
山並みを見ていると
現実の中に居るのに
時を離れて過ごしているような
不思議な気持ちにもなります


忙しい6月を過ごしています。
とは言うものの
自分のやりたいことを
自分のペースで
好きなだけ
できるので
どんなに気を揉んでも
手が疲れ切っても
ため息ついたって
眠りにつくころは
なんとなく
笑って終わる
そんな日々

雨が続くと気温が上がらず
畳んでしまった長袖を
引っ張り出してきて
一休み
雨に煙る
山並みを見ていると
現実の中に居るのに
時を離れて過ごしているような
不思議な気持ちにもなります


爽やかな季節は
足早に去って行く
さながら
若き日々の
甘酸っぱい想いでのように
夜が明けて
陽が昇るまでの微睡は
さながら
揺かごの中の
記憶になる前の温もり

光が大地を照らし
虫たちは飛びたつ
さながら
この森の
守護者のように

日々色濃くなる緑に囲まれて
胸いっぱいに森の空気を吸い込む
春はいいなぁ
山笑うとはよく言ったものです。
自然の営みの中で
言葉に変える必要のない
何かを感じます。
人は自我をもち
欲をもつので
自然の中で
自然に生きていくのは難しい生きものなのかもしれません。
胸いっぱいに吸い込んだ
清冽な森の空気が
ため息に変わってしまうこともあります。
いろいろ くよくよ 考えて
漠然とした不安にとらわれてしまう
そんな春の憂鬱を
小川のきらめきは
木々のざわめきは
静かに静かに
しかし確かに
やわらげてくれるように思います。


森とせせらぎの中で
木と対話しながら
この仕事を続けて
7年が終わろうとしています。
初心のとき
展望のとき
失敗のとき
忍耐のとき
変化のとき
自分の意思で決めて
工夫と努力で進む
大きな仕事とは言えないけれど
小さくても確かな起承転結があるのだろうと思います。

その醍醐味を味わいつつ
8年目に入ります。
節目を感じながら
節目を大切にしながら。


奥武蔵の山々にも
久しぶりに恵みの雨
一日中雨が降ったのは
いつの日以来か?
木の葉を濡らし
地面を湿らし
川に集まり
大地を潤す
作業の手を
休める度に
深呼吸
そういえば
一番近い
この山は
松茸山だったか
雨乞山だったか?
雨に煙る山を見て
また
深呼吸

梅の花に来ている
メジロの羽が
いつもより
輝いて見えました
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
有名なフランス人画家ポール・ゴーギャンの作品
画集や映像では見たことがありますが
実物は見たことがないように思います。
見たこともない絵の感想を述べようということではなく
この題名の「どこへ行くのか」
という言葉が以前から気になっています。
まだ見ぬ未来に
希望もあれば
不安もあります

自分のやっていることが
これでいいのか?
何をやりたいのか?
どこへ行こうとしているのか?
時間をかけて
力をこめて
やっていることほど
そう思うときがあります。
しかし、
ひと区切りつけた時には
「これでいいのだ!」
と思いたい。
そういう点では
バカボンのパパ派か…
今年も終わろうとしています。
